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・俳句の風景・・ 短歌の風情

by 杉篁庵庵主

七月の風景風情

林間にはしゃぐ声ありソーダ水

窯出しの器の音や夏涼し

山荘で陶芸の電気窯の本焼を初めて試み、開けてみたときのもの。

陶芸道具一式は娘の物だか、焼き上がった後の器がチンと澄んだ響きを発するので驚く。

道の辺の蛍袋に人二人

野兎の途方にくれて梅雨寒し

梅雨の合間の雲垂れ込めるなか降りそうで降らない曇り空のもと、林を歩くと人には遇わず、兎が怪訝な顔で見つめていたりする。

七月の北軽井沢は梅雨寒と言うのかストーブをつけたくなるほどに気温が低いときがある。

夏草の茂れる中に花一つ雫の如く隠れゐしかな

八月の風情

威銃(おどしづつ)

「鳥威し」という季語がある。実った穀物などを啄む鳥をおどかして追い払うために田畑に設けるもの。案山子(かかし)・鳴子(かるこ)・空砲の類をいう。

「威銃・威銃打つ」はその空砲。実際に銃を撃つわけではなく、空気を圧縮して銃に似た音を立てる。長閑な田園に一定間隔で爆発音が響き渡る。

庵の周りにもいろんな動物が出る。猪対策の柵をしていても猿にはまるで効果ない。爆竹で脅すしかないらしい。

 威銃ときには海の向ふより

「蝉」

「蝉」は夏の季語である。個々の蝉でみると、春蝉は春の季語、松蝉は初夏となるが、これは同じ蝉。「油蝉、みんみん蝉、熊蝉」は夏であった。

暑さがぶり返した中ではあるが、蝉は鳴いたり鳴き止んだりを繰り返している。

万葉集には十首の蝉の歌があるが、一首を除いて蜩が詠まれている。

「隠(こも)りのみ居(を)ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来鳴く晩蟬(ひぐらし) 大伴家持 」

蜩が秋の季語になったのは、古今和歌集に下記の読み人知らずの歌二首があることからかといわれる。

「ひぐらしの鳴きつるなべに日は暮れぬと思ふは山の陰にぞありける」

「ひぐらしの鳴く山里の夕暮は風より外に訪ふ人もなし 」

「秋の蝉」はなぜかはかなく郷愁を誘う。

明け方や日暮に澄んだ鈴を振るような声でカナカナと鳴くので「かなかな」ともいう「蜩(ひぐらし)」。未明や薄暮の微妙な光に反応し鳴き始める。鳴き声には哀れさがあり人の心に染みるようである。早くからなく蝉ではあるが、如何にも初秋の感がある。

また、ツクツクホーシツクツクホーシと聞こえてくるのは「法師蝉」。俳句では「つくつくし」と詠んだりする。鳴き声を聞いていると一段と秋が深まる。蜩よりもこちらが長生きで、「寒蝉」ともいう。

 なく蝉のねも色かはる秋風にうすき衣は何を染ままし

 虫の夜の湯宿静けし酒少し

 歌ふなと呟くままに赤まんま

 挨拶の素直になりぬ今朝の秋

 虫干の形見分け合ふ夕の縁

 寄り添ひて窓辺に聞ける遠花火浴衣の君は遠き思ひ出

 鐘打つや今朝は八月十五日うき身ひとつを定め兼ねつも

九月の風景風情

野分

「野分、例の年よりもおどろおどろしく、空の色変りて吹き出づ。花どものしをるるを、いとさしも思ひしまぬ人だに、あなわりなと思ひ騒がるるを、まして、草むらの露の玉の緒乱るるままに、御心まどひもしぬべくおぼしたり。おほふばかりの袖は、秋の空にしもこそ欲しげなりけれ。暮れゆくままに、ものも見えず吹きまよはして、いとむくつけければ、御格子など参りぬるに、うしろめたくいみじと、花の上をおぼし嘆く」『源氏物語』野分巻

次の歌は、この野分後、夕霧が雲井雁を見舞う歌です。

・風騒ぎむら雲まがふ夕べにも忘るる間なく忘られぬ君

(野分の風が吹き荒れてむら雲が飛び散る夕べにあっても私はあなたのことを思わないときはありません。忘れることのできないあなたです。)

野分の歌と言えば芭蕉の次の句が浮かびます。

・芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな 芭蕉

これは、芭蕉初期の秀句の一つで、「老杜、茅舎破風の歌あり。坡翁ふたたびこの句を侘びて、屋漏の句作る。その世の雨を芭蕉葉に聞きて、独寝の草の戸。」の詞書のある句です。

さて、今年の千葉の台風は未だ激甚災害指定になっていません。

 夜を通す激しき風は独り寝の草の戸破り屋根吹き飛ばす

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