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和泉式部日記(口語訳)Ⅳ

by 杉篁庵庵主

十、檀(まゆみ)の紅葉

 こうしてこの後、ニ三日、宮からはなんのご連絡ございません。「宮邸へいらっしゃいと頼もしげにおっしゃったことも、こんなふうではどうなってしまったのだろうか。」とあれこれ思いつづけているので、式部は寝ることもでず、目を覚ましたまま横になっていますと、夜も随分と更けたようだと思っている頃に、誰かが門を叩きます。「誰からか、心当たりもないのに。」と思いますが、何者かと問わせると、なんと宮からのお手紙でございました。思いもしない時刻にお手紙をくださったので、『夜な夜なは眼のみさめつつ思ひやる心やゆきておどろかすらむ[後拾遺集](毎晩毎晩目は覚めてばかりであなたのことを思っている私の心が飛んで行って、あなたのことを目覚めさせているのでしょうか)』と歌にあるように心通じて私が宮様を目覚めさせて歌を下さったのだろうか、と、妻戸を押し開けて月の光のもとに読んでみますと、

  「見るや君さ夜うち更けて山のはにくまなくすめる秋の夜の月

〔見ていらっしゃるでしょうか、あなたは、夜が更けたこの時間に、山の端に曇りなく澄んでいる秋の夜の月を。〕」とあります。

 思わず月を眺め、またこの歌を繰り返し口ずさみますと、いつもよりもしみじみと宮のことが思われます。

 門も開けずに宮のお手紙を受け取ったので、お使いが待ち遠しく思っているだろう、と思って、式部はすぐに返事を記します。

  「更けぬらむと思ふものからねられねどなかなかなれば月はしも見ず

〔今ごろはもう夜も更けてしまったのだろうと思うものの私は眠れません。しかしだからといって、月を見るとかえってあなたを思い出してつらいので、月だけは見ないことにしています。〕」

 こう式部がすぐに返してきましたので、同じように月を眺めていると返してくる予想が外れた気がして、「やはり放っておくことのできないひとだ。なんとかして私の近くに置いて、こんな風流なやりとりを聞きたいものだ。」と宮はご決心なさいます。

 二日ほどして、宮は女性の乗る車飾りにして、そっと忍んでいらっしゃいました。

 日の出ている明るい中などでは、まだ顔をご覧になることはなかったので、式部はきまりわるく思いますが、みっともないといって恥ずかしがって隠れなければならない間柄でもありません。また、おっしゃるようにお邸へお迎え入れくださる話が本当なのならば、恥じらい申し上げているわけにもいかないのではないかと思いまして、式部はにじり出でて出迎えました。宮は、ここ数日のごぶさたに気がかりだったことなどを親しげにお話になって、しばし横たわりお抱きなさってから、

 「先日申し上げたとおり、早くご決心なさい。こうした外出が、いつまでも物慣れなく思われるのですが、そうかといって、こちらに参上しないでいると不安で、定まらない私たちの仲は、苦しいばかりです。」とおっしゃいます。

 式部は「どうであれおっしゃるとおりにしようとは思いますが、『みても又またもみまくのほしければ馴るるを人はいとふべらなり[古今集](付き合い始めは、逢っても再び逢いたくなるものだから、親しくなりすぎるのをひとはいやがるのにちがいありません)』という歌にあるとおり、お邸に上がったら、飽きられてしまうのではないかと思って思いわずらっているのです」と申し上げます。

 すると、宮は、「よろしい、見ていてください。『伊勢のあまのしほやきごろもなれてこそ人の恋しきこともしらるれ[古今六帖](伊勢の海人が塩焼く時に着る衣が「褻(な)る」ように、馴れ親しんでこそ、相手が恋しいという気持ちは自然と理解されるものです)』また、『志賀のあまのしほやき衣なるるとも恋とふものは忘れかねつも[万葉集](琵琶湖の海人が塩焼く時に着る衣が「褻(な)る」ように、いくら馴れ親しんでも、恋心というのは忘れ難いものです)』とあるように逢い慣れてこそ恋は優るでしょう。」とおっしゃられ、部屋をお出になりました。

 式部の部屋の前近くの透垣のあたりに、美しい檀(まゆみ)の紅葉が、少しだけ紅くなっているのを、宮はお手折りになられ、高欄に寄りかかりなさって、

  「ことの葉ふかくなりにけるかな

〔いろいろ言葉を交わしているうちに、この葉の紅みが深くなったように私たちの言葉も色濃くなりましたね。〕」

と、下の句を口になさいます。式部は連歌として上の句を、

  「白露のはかなくおくと見しほどに

〔白露がちょっと降りたように見えただけ、そのようにかりそめのお言葉をいただいただけだと思っていますうちに、〕」

と、申し上げます。その式部の様子を、なんとも情篤く風流で趣き深い、と宮はお思いになられます。

 また、その宮のご様子もたいそうすばらしいのです。御直衣をおめしになって、なんともいえないほど美しい袿(うちき)を下から覗かせなさっているご様子は、この上なく好ましく理想の男性に見えます。その姿をうっとり眺める式部は自分の目までも色好みになっているのではないか、という気さえするのです。

 翌日、「昨日昼間訪れたときのあなたが見苦しく気恥ずかしいとお思いのご様子は、つらくはありましたが、いじらしくしみじみ心惹かれました。」と宮からお手紙がありますので、式部が、

  「葛城の神もさこそは思ふらめ久米路にわたすはしたなきまで

〔「かづらきの久米路にわたす岩橋のなかなかにてもかへりぬるかな[後撰集](役の行者に命じられた葛城神は自分の醜さを恥じて夜しか仕事せず久米路に渡す橋が中ほどまでしかかけられませんでしたが、その橋のようにあなたのもとに行く途中で帰ってしまいましたよ)」の歌にあるように葛城の神は、昼間に姿を見せるのは「はしたなし(中途半端できまりわるい)」ときっと思ったのでしょう、私もそう思うのです、〕

どうしようもなくきまりわるく感じました」と申し上げますと、折り返し宮から、

  「行ひのしるしもあらば葛城のはしたなしとてさてややみなむ

〔私に役の行者のような神通力がありましたならば、葛城の神がきまりわるいと思ったようにあなたが昼間は恥ずかしいと言うのをそのままにしましょうか、あなたに、きまりわるいと思わせないようにします。〕」

などとお返事があり、以前よりは時々おいでになったりしますので、式部はこのうえもなくものさみしさが慰められる気持がします。

 こうしているうちに、また、よくない色好みな男たちが手紙を送ってよこし、また本人たちもやって来て門前をうろついたりするにつけても、悪い噂が立ったりしますので、宮の元に参上しようかしらと思いますが、あいかわらず気後れしていて、式部はきっぱりとも決心がつきません。

 霜がたいそう白い早朝、式部が、

  「わが上は千鳥もつげじ大鳥の羽にも霜はさやはおきける

〔私の境遇は「鳳の羽に、やれな、霜ふれり、やれな、誰がさいふ、千鳥ぞさいふ、かやくきぞさいふ、みそさぎぞ京より来てさいふ[風俗歌・大鳥の歌]」の千鳥も大鳥ならぬあなたに告げてくれないでしょうが、大鳥の羽根のようなあなたの袖にも霜は置き、私が起き明かしたようにあなたも起きておられましたか。〕」

と申し上げますと、宮が、

  「月も見でねにきと言ひし人の上におきしもせじを大鳥のごと

〔月も見ずに寝てしまったといったあなたの袖の上に霜は置きもしていないでしょう、大鳥ならぬ私のようにはあなたは起きてなかったでしょう。〕」

とおっしゃられて、間もおかずその夕暮れにおいでになられました。

 またの日、「最近の山の紅葉はどんなに趣き深かいでしょう。さあいらっしゃい、見に行きましょう。」とおっしゃるので、「たいそう楽しい話のようです。」と式部はご返事申し上げましたが、当日になって、「今日は物忌みですので。」と申し上げまして、式部が邸に留まっていますので、宮は「なんとも残念だ。この時節を過ごしたら花はきっと散ってしまうでしょう。」とおっしゃいます。

 しかしその夜の時雨はいつもよりも強く、木々の木の葉が残りそうもなく激しく聞こえますので、目を覚まして、「日をへつつ我なにごとをおもはまし風の前なるこのはなりせば[和泉式部続集](私が風の前にある木の葉だったら、日々を過ごすにあたって私は何を悩む必要があったでしょうか(木の葉は悩みなく散ってゆくきますが、それがうらやましいことです。)」などと口ずさんで、「紅葉はきっとみな散ってしまっているでしょう。昨日見ないで残念なこと。」と思いながら夜を明かします。

 早朝、宮から、

  「神無月世にふりにたる時雨とやけふのながめはわかずふるらむ

〔神無月にはあたりまえすぎる時雨、夜に降っていた時雨というのか、今日の長雨は特別なこともないように降っていますが、これは私の涙です。今日の眺めをあたりまえのものとして特別な思いを持たずにあなたは過ぎる時を過ごしているのでしょう。〕

残念なことに紅葉は散ってしまったでしょう。」とお手紙がありました。

  「時雨かもなににぬれたる袂ぞとさだめかねてぞわれもながむる

〔 時雨なのでしょうか、何で濡れた私の袂でしょうか、あなたを思って流した涙かもしれないと決めかねて、私も一晩中物思いにふけって時雨を見ながら明かしました。〕」

と式部がお返しし、さらに、「ほんとうにおっしゃるとおり、

  もみぢ葉は夜半の時雨にあらじかしきのふ山べを見たらましかば

〔紅葉した葉は、夜中の時雨できっと散ってしまったでしょう、昨日あなたと山辺を見ていればよかったのですが。〕」

と送りましたのを、宮は御覧になり、

  「そよやそよなどて山べを見ざりけむけさはくゆれどなにのかひなし

〔まったくそのとおりです。どうして昨日山辺を見に行かなかったのでしょう、今朝となっては、悔いてもなんの意味もないでしょう。〕」

とおっしゃいまして、その手紙の端に、

  「あらじとは思ふものからもみぢ葉の散りや残れるいざ行きて見む

〔紅葉はもうないだろうとは思いますが、もしかしたら紅葉した葉が散り残っているかもしれません、一緒に行って見てみましょう。〕」

と書き記されておりますので、式部もお返事を記します。

  「うつろはぬ常磐の山も紅葉せばいざかし行きてとうとうも見む

〔紅葉するはずのない常緑の山でももし紅葉することがありましたら、さあ一緒に行ってたずねたずねてみたいもの、けれどそんなことはないでしょうから。〕

今行っても愚かなことでございましょう。」

 先日宮がいらしたときに、「差し障りがあってお相手申し上げられません」と申し上げたことを宮はお思い出されて、

式部が、

  「高瀬舟はやこぎ出でよさはることさしかへりにし蘆間分けたり

〔「みなといりの葦わけ小舟さはり多みわが思ふ人にあはぬ顔かな[拾遺集](水の流れが狭くなっているところに葦を分け入って入る小舟にさまたげが多いので、私の愛しているあなたに逢えないことです。)」の歌の障りもなくなりました、高瀬舟を早く漕ぎ出していらしてください、舟のさまたげだった葦の間を掻き分けてあなたのお越しをお待ちしておりますから。〕」

と申し上げましたことに対して、宮は「お忘れになったのですか、

  山べにも車に乗りて行くべきに高瀬の舟はいかがよすべき

〔山辺にも車に乗って紅葉を見に行くはずなので、高瀬舟ではあなたのもとに寄せることはできません。〕」

と詠んでこられましたので、

  「もみぢ葉の見にくるまでも散らざらば高瀬の舟のなにかこがれむ

〔山の紅葉が車で見に来る時までも散らないで待っているのならば、どうして紅葉に惹かれたりしましょう。紅葉狩りに高瀬舟を漕いでどうしましょう。私もまたあなたの来ないうちに散ってしまいましょうか。散るから恋焦がれるのです、どうぞ恋焦がれている私の所においで下さい。〕」

と式部はご返歌いたします。

十一、車宿り

 その日も夕暮れになりましたので、宮はおいでになり、式部側が方塞(ふた)がりなので、目立たないように式部邸から連れ出しなさいます。

 この頃は、四十五日の忌を避けようとなさって、宮は、従兄に当たられる道兼息兼隆(従三位右中将)邸にいらっしゃいます。それでなくてさえ物慣れない場所に行くことになりますので、「見苦しいことです。」と式部は申し上げますが、宮はむりやり連れていらして、式部を車に乗せたまま、誰の目にも付かない車宿りに車を引き入れて、式部を置いたまま宮だけがお邸にお入りになりましたので、車の中に取り残された式部は、恐い、と思います。宮は人が寝静まってからいらっしゃいまして、車にお乗りになって、いろいろと将来にわたることをおっしゃられて契られました。事情を知らぬ宿直の男たちがあたりを歩き回ります。いつもの右近の尉や小舎人童は近くにお仕えしています。

 宮が、式部のことをしみじみといとしいものとお思いになるにつけても、いいかげんに過ごしてきた今までの態度を後悔なさるにしても、まことに身勝手なお振る舞いではあります。

 夜が明けると、宮はすぐに式部邸にお送りなさり、誰も起きないうちにと急いで従兄の邸にお帰りになられて、早朝のうちに、

  「ねぬる夜の寢覚めの夢にならひてぞふしみの里をけさはおきける

〔独りで寝る夜が続いて夢で寝覚める生活に慣れてしまって、あなたと伏して夢を見るはずなのに(伏見の里で)、共寝した夜なのに今朝は早々と起きてしまったことです。〕」

と後朝の歌を下さいますので、式部はお返しに、

  「その夜よりわが身の上は知られねばすずろにあらぬ旅ねをぞする

〔あなたと共寝したその夜から、私の境遇はどうなるものとも分からないので、意外なことにとんでもない車で明かすというような旅寝をしてしまいました。〕」

と申し上げます。

 「こんなにも激しく身にあまる宮のお気持ちを、気付きもしないでつれない態度で振舞っていてよいものだろうか。他の事などはたいしたことではあるまい。」などと式部は思いますので、「宮のお邸に上ろう。」と決心します。宮の元に住み込むなどするものではないとまじめな忠告をする方々もいますが、耳にも入りません。「どうせつらい身なので、運命にまかせて生きてみよう。」と思うにつけても、「宮の元に住み込むという形での宮仕えは、私の望みというわけでもない。『いかならむいはほのなかに住まばかは世のうきことのきこえ来ざらむ[古今集](いったいどこの洞窟で暮らしたら、俗世のいやな噂が聞こえてこないだろうか。)』の歌のように、いっそのこと出家して嫌な噂の聞こえてこない場所で暮らしたいが、またそこでいやなことがあったらどうしましょう、ほんとうに本心からの出家ではないように人々は思ったり言ったりするだろうから、やはりこのまま出家せずに過ごしてしまおうか、親・兄弟の近くでお世話を申し上げたり、また昔のまま変わらないように見える娘(小式部内侍)の将来をも見定めたい。」と式部は思い立ちましたので、「せめて宮のお邸に上がり申し上げるまでは、困った不都合な噂をなんとかして宮のお耳にはいれさせまい。お近くでお仕えしていたら、変な噂が立ったとしても、きっと真実のほどはおわかり下さるでしょう。」と思い、言い寄ってきていた男たちの手紙に対しても、「いません。」と侍女たちにいわせて、まったく返事もしないのでした。

 宮からお手紙があります。見ますと、「いくらなんでも他に男の方はいまいとあなたをあてにしていましたが愚かなことです。」などとだけ書いて、ほとんどなにもお書きにならず、「人はいさ我はなき名のをしければ昔も今もしらずとをいはむ[古今集](あなたはさあ、どうだか分かりませんが、私は浮き名の立つのが惜しいので、昔も今もあなたとは無関係だと言い張りましょう。)」とだけ書いてあるので、式部は胸つぶれるほどに驚き、嘆かわしく思います。今までも目も当てられない嘘の噂が沢山出てきましたが、「いくら噂が立ったとしても、実際にしてないことについてはどうしようもない。」と思いながらやりすごしていましたのに、今回は、本気で疑っていらっしゃるので、「宮のもとに上がろうと決心したことを耳にしたひともいるだろうに、宮に見捨てられるという愚かな目を見ることになりそうだ。」と思いますと悲しくて、ご返事申し上げようという気にもなれません。一方、それにしてもどういう噂を宮はお聞きになったのだろうか、と思うにつけてきまりわるくて、式部がご返事も申し上げないでいますので、宮は、「さっきの手紙にきまりわるがっているようだ。」とお思いになられて、「どうしてご返事も下さらないのですか。このままでは『噂どおりです』と思ってしまいます。こんなにも早く心変わりなさるものなのですね。ひとの噂を耳にしたけれど、『まさかそんなことはあるまい』と思いながら、『人言はあまのかる藻にしげくとも思はましかばよしや世の中[古今六帖](人の噂は海人の刈る藻のようにたくさんあっても、あなたが私を愛してくれればそれだけでいいのです、人の言うことなど問題ではありません。)』と思ってお手紙申し上げたのですが。」とお手紙がありますので、式部は少し気持ちが晴れて、宮のお気持も知りたく、どんな噂かも聞いてみたくて、

 「本心で私のことをお思いでしたら、

  今の間に君来まさなむ恋しとて名もあるものをわれ行かむやは

〔今この時にあなたにいらしてほしいのです、いくら恋しく、あかしを立てたく参上したいといっても、噂が立つでしょうから、私からお邸に行くわけにはまいりません。〕」

と申し上げますと、宮から、

  「君はさは名の立つことを思ひけり人からかかる心とぞ見る

〔あなたはそれでは私とのことで噂になることを心配なさっているのですね、他の男とは平気なのに、私とのかかわりで噂が立つのを嫌がるのがあなたの気持ちと分かりました。〕

名(噂)が立つからとは、腹さえ立ちました。」とあります。

 お邸に上がりかねている様子をご覧になられて、宮がきっとおふざけをなさっているのだろうと式部は思い、お手紙を見ますが、やはりつらく思われて、「やはりとても苦しいのです。どんな形でも私の心をご覧に入れたいものです。」と式部は申し上げました。

 すると宮からは、

  「うたがはじなほうらみじと思ふとも心に心かなはざりけり

〔あなたを疑うまい、やはり恨みごとは申すまい、と思っても、私のその信じる気持に私の疑いの心がついていかないのです。〕」

とあります。

 式部がそのご返事に、

  「うらむらむ心はたゆな限りなく頼む君をぞわれもうたがふ

〔私を恨んでいらっしゃるお気持ちを絶やさないでください、私もこのうえなく信頼しているあなたのことを疑っているのですから。それが恋というものでしょう。〕」

と申し上げます。

 こんなやり取りをしているうちに、日が暮れましたので宮がおいでになりなした。

 宮は「やはりあれこれ讒言するひとがいるので、まさかそんなことはあるまい、と思いながらも、疑いを記してしまったのですが、このような悪い噂を立てられまいとお思いなら、さあ、我が邸においでください。」などとおっしゃられて、夜が明けましたのでお帰りになられました。

 こんなふうに絶えずお手紙はお書きになりますが、足をお運びになることはなかなか難しいのです。

 雨がひどく降ったり風がはげしく吹いたりする日にも、宮が見舞ってくださらないので、「住む人も訪れる人も少ない淋しい我が家での風の音の侘びしさを思いやってくださらないらしい。」と思って、夕暮れころに式部がお手紙をさしあげます。

  「霜がれはわびしかりけり秋風の吹くにはをぎのおとづれもしき

〔霜枯れはなんともさみしいことです(あなたのお気持ちが「離(か)れ」たのはつらいこと)、秋風が吹いているころには荻の葉ずれの音もしたのに(秋ごろは、私が「招(を)ぎ」ましたら宮も「訪れ」てくださいましたのに)。〕」

と申し上げましところ、宮からご返事がありました。そのくださったお手紙を見ますと、

 「たいそうぶきみな風の音を、あなたはどう聞いておいでだろうと気の毒に思っております。

  かれはててわれよりほかに問ふ人もあらしの風をいかが聞くらむ

〔冬になり枯れ果てて、男たちも離(か)れてしまって、私以外に見舞う人もいないでしょうから、荒々しい嵐の風の音をあなたはどういうお気持ちで聞いていらっしゃるでしょう。〕

あなたの様子を思い心配申すことは実に大層なものです。」とあります。

 他に男がいないとまでおっしゃらせてしまったと読むのもなんともおかしいこと、と式部は思うのでした。

 

 方違えの御物忌みのために、人目を忍んだ処にいらっしゃるからと、いつものようにお迎えの車が来ますので、「今となってはもう宮がおっしゃるのならなんでもそれに従って。」と思いますので、宮のお忍びの場所に参上しました。

 心穏やかに宮はお話しなさり、式部も起きても寝てもお話し申し上げますし、ものさみしさもまぎれますので、宮のお邸に参上したいと思ったのでした。御物忌みが過ぎましたので、式部は住み慣れた自分の邸に帰ってきますと、この日のことがいつもの別れよりいっそう名残惜しく恋しく思い出され、やむにやまれませんので、歌を差し上げます。

  「つれづれとけふ数ふれば年月のきのふぞものは思はざりける

〔今日つらつらと思い出の日々を思い数えてみますと、長い年月の中でお逢いしていた昨日だけはつらい思いをしませんでした。〕」

 宮はご覧になってしみじみといとしくお思いになられて、「私も同じです。」とおっしゃり、

  「思ふことなくて過ぎにしをととひときのふとけふになるよしもがな

〔何の物思いもつらい思いもなしに過ごした一昨日と昨日の幸せが、今日になる方法はないものでしょうか。〕

そう思うだけではどうにもなりません。ですからやはり我が邸に入ろうとご決心なさい。」とおっしゃいます。

 しかし、式部はひどく気後れして、すっきりと決心がつかないまま、ただ物思いにふけって日を過ごします。

 いろいろに色づいて見えた木の葉も散り果てて、空は明るく晴れているものの、だんだんと沈み切ってしまう陽射しが心細く思われますので、式部はいつものようにお便り申し上げます。

  「なぐさむる君もありとは思へどもなほ夕暮れはものぞ悲しき

〔私を慰めてくださるあなたがいらっしゃるとは思うのですけれども、やはり一人こうして冬の日の暮れていきますのはなんとも悲しいものです。〕」

とありますので、宮は、

  「夕暮れは誰もさのみぞ思ほゆるまづ言ふ君ぞ人にまされる

〔夕暮れは誰もがそんなふうにさみしく思われるものです、しかし誰よりも先にそれを口に出すあなたが、誰よりもさみしく感じているのでしょう。〕

と思うにつけてもお気の毒です。すぐにでも伺いたいとは思いますが、‥。」とお返しします。

 翌日のまだ早い時間で、霜がたいそう白い時に、宮から「今のお気持ちはいかが。」とお手紙がありますので、式部は

  「おきながら明かせる霜の朝こそまされるものは世になかりけれ

〔あなたのお越しを待って起きたままで夜を明かしました。とうとうお見えにならなかった今朝は冷たく霜が降りて、これ以上にひどい悲しみはこの世になかったことです。〕」

などと言い交わし申し上げます。

 いつものように宮はしみじみしたお言葉をお書きになります。

  「われひとり思ふ思ひはかひもなしおなし心に君もあらなむ

〔そちらへ行くこともならず、私がたったひとりであなたを恋しく思って悩みに悩んでも甲斐がありません、あなたも同じ気持ちで私を恋しく思って悩んでほしいものです。〕」

 これへの式部のご返事。

  「君は君われはわれともへだてねば心々にあらむものかは

〔私は宮様のように「あなたはあなた、私は私」と区別してもいませんので、二人の心が別々でありましょうか、いや、決して別々であろうはずはございません。〕」

 こうしているうちに式部が風邪だったのでしょうか、おおげさではありませんが苦しんでいましたので、宮が時々見舞ってくださいます。

 なんとかよくなってきたころに、「ご気分はいかがですか。」と宮がおたずねくださいましたので、式部が、「少しよろしくなっております。しばらく生きてお側にいたい、と思ってしまいましたことが罪深く思われますが、それにいたしましても、

  絶えしころ絶えねと思ひし玉の緒の君によりまた惜しまるるかな

〔宮様のお運びが絶えてしまったころは、絶えてしまえと思っていた私の命でしたが、こうしてお会いしますと宮様の愛情によって命を繋ぐ緒が再び惜しく生き長らえたいと思われます。〕」

と申し上げますと、宮は、「たいへんなことでした、ほんとうにほんとうに。」とおっしゃって、

  「玉の緒の絶えむものかは契りおきしなかに心はむすびこめてき

〔あなたの命を繋ぐ緒が絶えるはずはありません、あなたとの仲も絶えることはありません。将来を約束した私たちの仲に(中に)変わらぬ心はしっかり結び込めてあるのですから。〕」

とお返しなさいます。

 このように言い交わしているうちに、年も残り少なくなりましたので、宮のもとには春の頃に参上しよう、と式部は思います。

十二、雪降る日

 十一月の初め頃、雪がひどく降る日に、宮から、

  「神代よりふりはてにける雪なればけふはことにもめづらしきかな

〔神の世からずっと降りつづけてもう降り尽きたと思われる雪ですから、今日はことさら新鮮に感じられます、あなたのことを思いながら雪を見るのは初めてですし。〕」

とありますで、式部は、

  「初雪といづれの冬も見るままにめづらしげなき身のみふりつつ

〔初雪が降るのは目新しいものと毎年見ていますが、目新しくもない我が身だけは、時がふり、古るびつづけると嘆かれます。〕」

などとお返したり、とりとめのないやりとりをしながら、日々を暮らし明かします。

 宮からお手紙があります。「ずいぶんごぶさたで気がかりになりましたから、お邸におうかがいしてと思っていましたのに、周りののものらが漢詩(ふみ)を作るようなので行けなくなってしまいました。」とおっしゃいましたので、式部が、

  「いとまなみ君来まさずはわれ行かむふみつくるらむ道を知らばや

〔暇がないので宮様がいらっしゃれないというのなら、私の方から行きましょう。そのために、漢詩(ふみ)を作るというあなたのもとへ踏みつけて行く道筋を知りたいものです。〕」

と詠みますと、宮は、おもしろく思われてお詠みになります。

  「わが宿にたづねて来ませふみつくる道も数へむあひも見るべく

〔我が家にどうぞ訪ねて来てください、そうしたら漢詩(ふみ)を作る方法もお教えしましょう、なにはさておき相逢うために。〕」

 いつもよりも霜のたいそう白く置く朝に、「どう思ってご覧になっていますか。」と宮がおっしゃいますので、式部がお返しした歌。

  「さゆる夜の数かく鴫はわれなれやいくあさしもをおきて見つらむ

〔「暁の鴫のはねがきもも羽がき君が来ぬ夜は我ぞ数かく[古今集](夜明け前のシギが何百回も羽根を嘴で掻いていますが、あなたがいらっしゃらない夜に私はなんども身悶えしています。)」という歌の冴え冴えとした夜に何度ももがいているシギは私のことをいっているのではないでしょうか、宮様のおいでのない朝を私はこれまで幾朝、霜を置く時間まで起きて見ていたでしょうか。〕」

 そのころ、雨がはげしく降りましたので、更にこんな歌も送ります。

  「雨も降り雪も降るめるこのころをあさしもとのみおき居ては見る

〔雨も降り雪も降っているような冬のこの何日かを、おいでのない宮様を待って、ご愛情が浅いのだと私は夜を起き明かしては朝の霜を見ています。〕」

 その夜、宮がおいでになられて、いつものようにとりとめないお話をなさるにつけても、「私の邸にあなたをお連れ申し上げてからあと、私が寺にでも行ったり、法師にでもなったりして、姿を見せ申し上げなくなったら、裏切られたとお思いになるでしょうか。」と心細くおっしゃいますので、「どのようにお考えになるようになってしまわれたのだろうか。もしかしたらそんなことが起こりそうなのだろうか。」と思いますと、たいそう身にしみて悲しくて、思わず泣いてしまいます。

 霙(みぞれ)めいた雨が静かに降る時です。

 式部が泣いてしまったので、少しも眠らず、宮は来世に渡ってまでしみじみとお話になり、お契りになります。「情愛深く、どんなことでもこころよくお話しになさって私を疎んじないご様子なので、私の心の中もお目にかけよう。」と思い立ちもするものの、「宮が出家なさったら、私もこのまま出家するばかりのこと。」と思うと物悲しくて、何も申し上げずにしみじみと泣いていましたが、その様子を宮はご覧になられて、

  「なほざりのあらましごとに夜もすがら

〔とりとめない将来を口にしたばかりに、一晩中、〕」

と上の句をおっしゃるので、式部が下の句を付けます。

  「落つる涙は雨とこそ降れ

〔落ちる涙は雨が降るように流れました。〕」

 宮のご様子は、いつもより頼りなげな感じで、そうしたことを口になされて、やがて夜が明けたのでお帰りになられました。

 「この先これといった希望があるわけではないが、ものさびしさを慰めるために宮のお邸に上がる決心をしたのに、その上宮が出家なさったらどうすればよいだろうか。」などと式部は思い悩んでお手紙をさし上げます。

  「うつつにて思へば言はむ方もなしこよひのことを夢になさばや

〔宮が出家なさるという話を現実だとして考えると、私は生きていきようもありません、だから、今宵のお話を夢にしてしまいたいものです。〕

と私は思いますが、どうしてそんなことをお考えなのでしょう。」と記して、端に、

  「しかばかり契りしものをさだめなきさは世のつねに思ひなせとや

〔あんなにもしっかりとずっといっしょにいようと約束しましたのに、定まりのないこの世のことですから、世にありふれたとるにたりない約束だったと思うようにせよとおっしゃるのでしょうか。〕

残念なことに思われます。」とありますので、宮はご覧になり、「まず私から後朝のお手紙を差し上げようと思っていたのに先にお便りをいただきまして、

  うつつとも思はざらなむねぬる夜の夢に見えつる憂きことぞそは

〔出家の話は現実のこととも思わないでいただきたい、それは二人で寝た夜の悪夢に見えたつらいことなのですから、〕

私たちの仲を定め無き無常のものと思い込もうというのですか、なんと気の短いことでしょう。

  ほど知らぬ命ばかりぞさだめなき契りてかはすすみよしの松

〔終わりのわからない寿命だけは定めようがありません、しかし、それまでは、『われ見ても久しくなりぬ住吉の岸の姫松いく代へぬらむ[古今集](私が見ても悠久なことはわかります、住吉の岸の小さな松は人間の何世代分を過ごしてきたのだろうか。)』の枝を交わしている住吉の松のように、永遠の約束を交わして共に暮らしましょう。〕

私の愛しい方よ、将来の出家の話はけっして二度と口にいたしますまい。自分からまねいたことで、なんともやりきれません。」とお便りなさいます。

 式部はその後、物悲しく感じるばかりで、つい溜息をつくしかありません。早くお邸に上がる準備をしていたらよかった、と思います。

 昼頃、宮からお手紙が届きます。見ると、「古今和歌集」の歌が記してあります、

  「あな恋し今も見てしが山がつの垣ほに咲ける大和撫子 

〔ああなんとも恋しいことです、今すぐに逢いたい、山中の垣に咲いている大和撫子のような可愛いあなたに〕『古今和歌集』(恋四の六九五番))」

 「あら、なんとも狂おしいほどのお気持ち」と式部は思わず口にして、やはり「伊勢物語」の歌で、

  「恋しくは来ても見よかしちはやぶる神のいさむる道ならなくに

〔私のことが恋しいのでしたら、どうぞ私のうちにいらして逢ってください、神様がだめと禁止している道ではないのですから。〕『伊勢物語』(第七十一段)」

と式部がご返事申し上げますと、宮はふっと笑ってご覧になられます。

 最近、宮はお経を繰り返しお読みになっていらしたので、

  「あふみちは神のいさめにさはらねどのりのむしろにをればたたぬぞ

〔近江路を通ってあなたに逢うのは神の禁忌には触れませんが、私は今仏事の席におりますので、出かけるわけにはまいらないのです。〕」

とおっしゃいます。式部がご返事に、

  「われさらばすすみて行かむ君はただ法のむしろにひろむばかりぞ

〔それなら私の方からすすんで行こうと思います、あなたはひたすら仏道の教えに連なり教えを広めているばかりですので。〕」

などと申し上げて日を過ごします。

 雪が、ひどく降って、木の枝に降り掛かっていますので、その枝に歌をつけて、宮が、

  「雪降れば木々の木の葉も春ならでおしなべ梅の花ぞ咲きける

〔雪が降ると、木々の木の葉も春ではないのに、いっせいに梅の花が咲いているようです。〕」

と詠んでこられたので、式部がご返歌します。

  「梅ははや咲きにけりとて折れば散る花とぞ雪の降れば見えける

〔梅ははやくも咲いたのだと思って手折ってみると散ってしまいました、雪が降るのはまるで散る梅の花びらのように見えたことです。〕」

      そのⅤに続く

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