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和泉式部日記(口語訳)Ⅰ

by 杉篁庵庵主

「現代語訳和泉式部日記」

和泉式部日記 (口語訳)

序にかえて

  黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきやりし人ぞこひしき

 若い時に「和泉式部日記」を読んだ折は浮気な女の自己満足という印象でしたが、年をとってから読んでみたらなかなかに面白いのでした。

 『和泉式部日記』には和泉式部のこと自身を語りながらも彼女が不在の場面描写もたびたび見られます。帥宮や周辺人物の視点でその心象が描き出されていたり、また、「手枕の袖」の場面では宮の目で式部の姿が映し出されていたりするのです。

 黒川家旧蔵の寛元本には、藤原俊成の作とあるといいます。この一大スキャンダルを二人の歌をもとにして俊成がその真相に迫る物語として組み立てたとして読むとなお面白く読めるのでした。

 ここでは、そういう第三者が記した(式部が「物語り作者の目」で記した)ものとして訳しています。

 艶めかしい恋の体感を味わいたい方は是非お読み下さい、通読ではなく、一首一首に立ち止まって。

 その上で原文でも読んでいただきたいと思います。

 訳は岩波の大系と小学館の古典文学全集を参照しながら、自分なりの解釈を加えてもいます。

 歌を口語の短歌にしてみようと試みましたが、これはすぐにあきらめました。掛詞や本歌取り等の高度の技法はとても口語にうつせません。結局、歌をあげ、歌意を添える形になりました。できるだけ通読して理解できるようにしてみたつもりです。 和泉式部の父は越前守大江雅致(まさむね)、母は越中守平保衡(やすひら)の娘でした。式部は幼名を御許丸といい、父の官名から「式部」、夫橘道貞の任国和泉から「和泉式部」と呼ばれます。

 母は介内侍と呼ばれた女房でしたから幼い頃には母の仕えていた冷泉院皇后の昌子内親王の宮で育ちます。この頃に幼い為尊親王・敦道親王と会う機会があったともいわれています。十九歳の時、父の片腕であった実直な橘道貞と結婚して、翌年には娘に恵まれます。後の小式部です。

 受領の夫の赴任先の和泉の国へついて行っていましたが、いろいろあってか式部は京に先に帰っています。この夫には後々も未練を残しているように思われます。

 また、式部は歌人として若いときから名をはせていました。

 離れて住む夫・道貞への思いを詠った歌の上手さが冷泉院の第三皇子の弾正宮為尊親王を引き寄せたとも、昌子中宮の病気見舞いに来られたとき為尊親王が一目惚れしたともいわれますが、二人は激しい恋に落ちます。二四歳のときのことです。美貌を誇る皇子に実直な夫にはない魅力をみいだしたのでしょう。このことは世の評判になり、夫の道貞も宮中での二人の噂を耳にします。このため夫婦はいつのまにか疎遠になり、事実上離婚の状態になってしまいます。身分違いの恋に父も怒って勘当します。

 それでも、式部にとっては恋人がすべてでした。

 しかし、この恋は二年ほどで終わります。長保四(一〇〇二)六月一三日、弾正宮為尊親王は 二六歳の若さで病であっけなく夭折してしまったのでした。

 さて、物語は、この悲しみにくれるなか、やがて一年が経とうというところから始まります。式部二六歳のときのことです。

和泉式部日記〔口語訳〕

 

一、橘の花

 夢よりも更に儚く終わった亡き為尊様との恋を思い返しては嘆きを深くする日々を送りますうちに、いつしか一年近い月日が流れ、はやくも四月の十日過ぎにもなってしまい、木の下は日ごとに茂る葉で暗さを増してゆきます。塀の上の草が青々としてきますのも、世の人はことさら目にも留めないのでしょうけれど、あわれにしみじみと感じられて、為尊様を喪った夏の季節がまた巡って来るのだと式部には感慨深く思われるのです。

 そうした思いで式部が庭を眺めていた折のこと、近くの垣根越しに人の気配がしましたので誰だろうと思っていますと、亡き為尊様にお仕えしていた小舎人童なのでした。

 しみじみと物思いにふけっていた時でしたので懐かしく、

「どうして長い間みえなかったの。遠ざかっていく昔の思い出の忘れ形見とも思っているのに。」と取り次ぎの侍女に言わせますと、

「これという用事もなしにお伺いするのは馴れ馴れしいこととご遠慮申し上げておりますうちにご無沙汰をしてしまいました。このところは山寺に参詣して日を過ごしておりましたが、そうしているのも心細く所在無く思われましたので、亡き宮様の御身代わりにとも思い、為尊様の弟君である帥(そち)の宮敦道様のもとにお仕えすることにいたしました。」と童は語ります。 「それは大層良いお話ですこと。けれど帥の宮様はたいそう高貴で近寄りがたいお方でいらっしゃるのではないの。為尊様のもとにいた時の様にはいかないのでしょう。」などと言いますと、

「そうではいらっしゃいますが、たいそう親しげでもいらっしゃいます。今日も『いつもあちらに伺うのか』とこちらのご様子をお尋ねになりますので『参ります。』と申し上げましたところ、『これを持って伺い、どうご覧になりますかといって差し上げなさい』と仰いました。」と、取り出したのは橘の花でした。

 自然と『五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする』という古歌が思い出されて口ずさまれます。

 童が、「それではあちらに参りますが、どのようにご返事申し上げましょうか。」と言いますので、式部は、ただ言葉のみでのご返事というのも失礼なようですし、「どうしましょう、帥の宮様は色好みな方という噂はないのですから、どうということもない歌ならかまわないでしょう。」と思い、

  「かをる香によそふるよりはほととぎす聞かばやおなし声やしたると〔花橘の香は昔の人を思い出させるとか、けれども私はそれよりも、せめて昔と変わらぬあの方の声だけでも聞けないものかと、甲斐のない望みを抱いています。あなたのお声は兄宮様とそっくりなのでしょうか。〕」 と、橘の花に対して懐かしさを『ほととぎす』に見立て、『声ばかりこそ昔なりけれ』という素性法師の歌を踏まえたお返事をしたため、童に渡したのでした。

 帥の宮がなんとなく落ち着かない思いで縁にいらっしゃる時、この童がまだ遠慮があるのか物陰に隠れるようにして何か言いたげでいるのをお見つけになられて、「どうであった」と声をかけますと、童はようやく近づいてきてお手紙を差し出します。

 宮は式部の歌をご覧になられて、〔「兄上が人目も憚らず通い詰めていただけに、やはり並み一通りの女性ではない。」とでもお思いになられたのか、〕

  「同じ枝に鳴きつつをりしほととぎす声は変はらぬものと知らずや

〔兄の声が聞きたいとおっしゃるのですね。おなじ母から生まれ一緒に育った私の声も亡き兄と変わりないのは、ご存知ではないでしょう。お訪ねして、声を聞かせたいものです。〕」

とお書きになられて、その歌を童に渡し、「こんなことをしていると人には絶対言うな。いかにも色好みのように見られるからな。」と、童に口止めして奥にお入りになりました。〔しかし、噂が広がるのは避けられないと思われます。〕

 一方、式部は敦道様からのお歌に心ひかれるものはありましたけれど、そういつもいつもご返事するのはと思いそのままにします。

 ところが、宮は一度お便りを贈られたとなると、間もおかず、また、

  「うち出ででもありにしものをなかなかに苦しきまでも嘆く今日かな

〔はっきり言葉にして思いを打ち明けずとも良かったものを、どうして打ち明けてしまったのでしょう。そうしたことでかえって苦しいほどに思い嘆いている今日この頃です。〕 」

というお文(ふみ)をお書きになったのでした。

 式部は、もともと思慮深くもない人でしたから、男気のない慣れない心の虚ろに耐えかねてか、ふと心動かされ、おそらく本気ではないこうしたとりとめのない宮のお歌にも目が留まって、宮にご返事を差し上げます。

  「今日のまの心にかへて思ひやれながめつつのみ過ぐす心を

〔苦しいまでに嘆いているとおっしゃいますが、僅か今日一日のあなたの嘆きと比べてどうぞご想像なさってみてください。あの方を亡くして以来ずっと物思いに沈んだままで過ごしている私の苦しい心を。〕」

〔こんな式部を、世間の人々がは軽々しい女だと言うのでしょう。〕

二、逢瀬

 こうして宮はしばしばお手紙をお遣わしになられ、式部もご返事を時々差し上げます。ものさびしさも少し慰められる思いで式部は日を過ごしていました。

 また、宮からのお手紙があります。文面もいつもより心こもっている様子で、

  「かたらはばなぐさむこともありやせむ言ふかひなくは思はざらなむ

〔お目にかかってお話したら心慰められることもあるのではないでしょうか、まさか、私と話しても話し相手にもならずせんないこととは思わないでください。〕

兄宮を偲んでしんみりとお話しもうしあげたいのですが、今夕にでもいかがでしょう」とお書きになっておられたので、式部は、

  「なぐさむと聞けばかたらまほしけれど身の憂きことぞ言ふかひもなき

〔心慰められると伺いましたらお話ししたいのですが、私の身についたつらさはお話したくらいではおっしゃるとおり「言う甲斐も無く」どうにもなりませんでしょう。〕

『何事もいはれざりけり身のうきはおひたる葦のねのみ泣かれて(何もことばにすることができません、我が身のつらさは、生えている葦の根ならぬ音(ね)を上げて泣くばかりですから。)[古今六帖]』の歌のように、泣くしかなく会ってもどうしようもありませんでしょう。」と申し上げます。

 宮は、思いもかけない時にひそかに訪れようとお思いになられて、昼から心準備なさり、ここ数日お手紙を取次いで差し上げている右近尉をお呼びになって、「忍んで出かけたい。車の用意を」とおっしゃるいます。右近尉は、「例の式部のところに行くのであろう」と思ってお供します。わざわざ飾り気のない質素なお車でめだたないようにお出かけになられ、「お目にかかりたく伺いました」と取り次がせなさったところ、式部はさしさわりがあるという気がしますが、「居りません」と言わせるわけにもいきません。昼間も手紙のご返事をさしあげていますから、家にいながらお帰し申し上げるのは心ない仕打ち過ぎましょうと思い、お話だけだけでもいたしましょうと、西の端の妻戸に藁座をさしだしてお入れ申し上げます。世間の人の評判を聴いているからでしょうか、宮の艶めかしく優雅な姿は並々ではありません。

 そのお美しさに心奪われながら、お話し申し上げていると、月がさし上りました。たいそう明るくまばゆいばかりです。

 宮は「古めかしく奥まったところにこもり暮らす身なので、こんな人目に付く端近の場所に坐り慣れていないので、ひどく気恥ずかしい気がします、あなたのいらっしゃるところに座らせてくださいませんか。これから先の私の振る舞いを見てください、決してこれまでお逢いになっていらっしゃる男たちのような振る舞いはしませんから。」とおっしゃいますが、「妙なことを。今宵だけお話し申し上げると思っておりますのに、これから先とはいったいいつのことをおっしゃるのでしょう。」などと、とりとめのないことのようにごまかし申し上げるうちに、夜はしだいに更けて行きます。

 このままむなしく夜を明かしてよいものか、と宮はお思いになられて、

  「はかもなき夢をだに見で明かしてはなにをか後の世語りにせん

〔はかない夏の短夜を仮寝の夢さえも見ないで夜を明かしてしまいましては、いったい何を今宵一夜の思い出話にできましょう。〕」

とおっしゃいます。式部は、

  「夜とともにぬるとは袖を思ふ身ものどかに夢を見るよひぞなき

〔夜になって寝るというのは、私にとっては兄宮様との仲を思い起こして涙で袖が濡れるということです、涙で苦しむ我が身にはのんびりと夢を見る宵などありません。〕

まして、弟の宮様と共に夜を過ごす心にはなれないのです。」と申し上げます。

 しかし宮は後に引けないと思ってか、「私は軽々しく出歩いて良い身分ではないのです。思いやりない振る舞いとあなたはお思いになるかもしれませんが、ほんとうに私の恋心はなんとも恐ろしく感じられるほどに高ぶっています」とおっしゃられて、おもむろに御簾の内にすべり入りなさいました。

 まことにせつないことの数々をおささやきなさりお約束なさって、夜が明けましたので、宮はお帰りになりました。

 お帰りなさるやすぐに、「今のお気分はいかがですか。私の方は不思議なまでにあなたのことが偲ばれます。」とお書きになり、

  「恋と言へば世のつねのとや思ふらむけさの心はたぐひだになし

〔恋しくてたまらないと言ってもあなたは世間並みのありふれた恋心だとお思いでしょう。しかし、逢瀬の後の今朝の恋しさといったら、たとえようもない激しいものです。〕」

という歌をお添えになります。そのご返事に式部は、

  「世のつねのことともさらに思ほえずはじめてものを思ふあしたは

〔おっしゃるとおりまったくありふれたことだとは私にも思われません、情を交わした後の思いに苦しみ、今朝ははじめて恋のせつなさを知りました。〕」

とご返事申し上げはするものの、「なんと不思議な我が身のさだめなのだろう。故宮があんなにも私を愛してくださったのに。」と思うにつけて、我が身自身が悲しく思われて思い乱れておりました。

 そんな折、例の童がやってきます。

 「宮からのお手紙があるだろうか」と思ったのですが、そうではありませんでしたのを「つらく苦しい」と式部は思いますが、それはなんとも好きずきしい心ではないでしょうか。

 式部は小舎人童が宮のもとにお帰りになるのにことづけて申し上げます。

  「待たましもかばかりこそはあらましか思ひもかけぬけふの夕暮れ

〔いづれあなたのおいでをお待ちすることになると思っておりましたが、これほど辛いということがありましたでしょうか、あなたのお出でを期待してもいない今日の夕暮れですが、お手紙もないので思いもかけない辛い思いでいます。〕」

 宮は、和泉式部の歌をご覧になって、「ほんとうに心痛むことだ。」とお思いになられるものの、こうした女のもとへの夜歩きを続けることは続いてはなさいません。

 北の方も、普通の夫婦のように仲むつまじくはしていらっしゃいませんが、毎夜毎夜外出するのも不審にお思いになるにちがいありません。また、兄宮が最期まで非難されなさったのも、この方のせいだった、と宮はお思いになられて慎まれますが、これも式部との仲を深い親密なものにしょうとはお思いなさらなかったからでしょう。

 暗くなるころ、宮からのご返事があります。

  「ひたぶるに待つとも言はばやすらはでゆくべきものを君が家路に

〔ひたすら待っているとでもあなたがおっしゃるなら、あなたの家に向けてためらわず行くはずのものですのに、「もしあなたのおいでを待ったとしても」などとおっしゃるとは。〕

私の思いがいいかげんなものではとあなたが思うのは残念なことです。」とありますので、式部は「いいえどういたしまして、私の方は、

  かかれどもおぼつかなくも思ほえずこれもむかしの縁こそあるらめ

〔あのような歌を差し上げましたが、こうしておいでがなくても不安だとは思われません。これもあなたとの仲が前世からの縁で結ばれているからでしょう。〕

とは存じておりますが、『なぐさむる言の葉にだにかからずは今も消ぬべき露の命を[後撰集](慰めてくれるお言葉さえも掛からないなら、今にも消えてしまいそうな露のような私の命です)』の歌のとおりです。」とご返事申し上げます。

 宮は、式部のもとにいらっしゃろうとはお思いになりますが、新しい事態に気後れを感じられて、そのまま数日が過ぎていきました。

         Ⅱへ続く

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